瑠璃光寺五重塔の誕生
国宝の瑠璃光寺五重塔は大内文化のシンポルで、私ども山口市民の誇りです。
おおすみ歴史美術館を訪れる県外からの皆さんは、歴史や文化に関心のある方がほとんどですから、五重塔や常栄寺雪舟庭についてのご質問も少なくありません。
先日来館された方からは「完成は室町中期の嘉吉2年(1442)と聞くが、その根拠は棟札(むなふだ)ですか」というお尋ねがありました。
棟札というのは「建物の建立や修理の際に棟木に打ち付けたり、屋根裏に納めたりする木札」(日本史用語辞典)のことです。
以下、私のつたない知識ですが、お答えしましょう。まず、この五重塔は戦死した大内第25代義弘の菩提を弔うため、弟で第26代盛見が建てたものですが、棟札は見つからず、いつ完成したのかはよくわかりませんでした。
しかし、大正4年(1915)の解体修理の時に5層目北側の軒下の木組みの一つ、巻斗(まきと)から墨で記された落書が見つかりました。
「嘉吉二年二月六日 此のふでぬし廿七 年みつのえいぬ」とあります。
この塔の建立にかかわった27歳の大工さんが、未来へのメッセージとして記したものでしょうか。名前はなく、花押(かおう)(印鑑代わりに書いた印)だけです。
自分も加わって、この31.2メートルの優美な塔ができた。大内家の象徴だし、私も誇らしい。いつの日か、塔の修理が行われるだろう。その時この巻斗の私のサインが見つかるかも知れない――そんな思いで記したのでしょうか。
「落書きが史実になったわけですね」と、ご質問者にお答えしました。さて皆さんに何かのご参考になったでしょうか。ちなみにこの巻斗は瑠璃光寺資料館で公開されています。
江戸康尹(えど・やすゆき)
(おおすみ歴史美術館)